朝の30分

整理するだけじゃなくて、ちゃんと書く。

器用なきみへ。10000時間でも20時間でも好きに選んだらいい。

量へ行ったから気づいたことがある。

 

使い古されたコトバ。こんなに何回も何回も、繰り返してしまうのはきっと自分がぞれをずっと求め続けているからなんだろう。質のこと考える前に量のこと考えろって。

 

それをやって経験から気付いた、っていう人のブログがあった。

izoomi-momo.jugem.jp

 

この方は、いろいろあって(端折りすぎだね)美大に入り、芸術じゃなくて美術を学ぶんだ!と意気込んでいたところに受けたのがこのデッサンの授業。一つの対象を、ひたすら、ただひたすらにデッサンし続ける。その中ではっきりとこう言っている。

 

 たぶん、教えてもらうことは簡単だったのだろうけれど
大事だったのは、いま、自分で気づけたことなんだ。
そのために、12時間必要だった。

 

自分が、もっとやれるっていうことに気づいた12時間。かっこいいなー。質の追求、言ってたり、自分ではもうわかったつもりになっていることがこの世にはたくさん、ある。結果として目にはっきりと見えるものかもしれないし、感覚的なことかもしれない。10000時間の法則なんてものもあるしね。

 

 

 

それに対して、20時間でいいという人もいます。

logmi.jp

TEDxという、世界的な講演があるのだけれど、動画もすぐに見られるし、20分かそこらで魅力的なスピーカーの話に引き込まれていくあの時間は、ぜひ経験するといい。

そこで話す米人気作家のジョシュ・カウフマン。

「1万時間の法則」は、プロレベルの成績の調査に由来するものです。フロリダ州立大学のK.アンダース・エリクソン博士という方がいます。彼が1万時間の法則の考案者です。この法則は、プロのスポーツ選手、世界的な音楽家、チェスの名人など、超競争の激しい分野の、超成績の良い人ばかりを調査して導かれたものです。 

 「まあまあ良い」レベルまで、それも出来るだけ最短期間で到達するためには、どのぐらい時間がかかるでしょうか? 私の調査によると、20時間です。

 

ブログ主さんと、ジョシュ・カウフマン氏の言っていることは、一見食い違っているように見えるが、そんなことない。

要は「できる!」レベルなら20時間、 「Top of Top」を目指すのならば10000時間ということだ。ねえ、そうだろう??

 

どのレベルまで到達したいのか?の違いなんだとしたら、じゃあ俺が現状どちら寄りかと言えば間違いなく前者の方で。20時間くらいで、そこそこできて満足して次へ行く、ってことをしているなあ、と。

 

そう、どんどんどんどん、新しいことへ。

 

 

僕は器用だ。

 

 ・・・と書いてみて思ったけれど、「器用」っていい意味の言葉じゃないなあ。

そう。ぼくは器用貧乏なんだよなー。それはわかっている。できないよりもきっといいのだろうけれど、時間を重ねるのになんだか飽きてしまう自分もいて。

だから、プロフェッショナルにあこがれる。10000時間にあこがれる。寝て覚めてずーっと絵を描き続け、飯食って描いて、風呂入って描いて、気絶したように眠り、起きるとまたすぐに絵を描く。そんな生活にあこがれていた。

 

わかるよー、続けたらいいんだ。量へ行ったらいいんだ。それでわかることももちろんある。でもね、どんどんいろんなことに興味がわくんだ。でもだからこそ突き詰めたい、プロフェッショナルになりたいと思っているのはそのせいなんだ。

 

そんな自分をなんとかできるのは自分だけだから、何とかしないとな、自分、って思うんだ。

 

あー、もう!中途半端は必要とされないし、価値生み出せない。それもわかってるんだって。仕事でもそう。記憶に残るかもそう。なんとかしないとな。

 

 

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たいして深く考えずに思い込んでいるだけのことが、意外と身の回りに多い。好きな食べ物の話をしていて気づいたこと。

食べることが好きです。今度は嘘じゃないです。

 

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SLAM DUNK 第30巻より)

 

おはようございます。

「好きな食べ物はなに?」という定番の質問に、きっと答えを用意している人も多いんじゃないかなーと思っているんですが、

 

以下、まずはぼくから、聞かれてもいないことに答えます(・ω・)

 

ぼくは焼き鳥が大好きです。特に塩でハツとレバー。塩辛の乗ったポテトサラダも好き。ワインとウシ肉と、しめ鯖とエイヒレの炙りも好き。味付けは薄目が好みで、ラーメンは醤油とんこつでスープまで飲み干せるのがタイプ。濃厚なガトーショコラと、コーヒーはマンデリンと呼ばれるものが好き。あ、ワインは、アルザスリースリングを1杯目に呑めたら最高。

 

 

これは「ぼくが特に好きなもの」で、もちろんこれ以外のものも好きだし、もしこのリストと被っている人がいたら「お、好みが合うな」くらいに捉えています。昨日の記事にも書いた、エッセンスの部分が同じ、っていう状態。

 

propetoplus.hatenablog.com

 
食べること、への前提を振り返ると・・・

僕は小さいころからとにかく食べまくっていて、実家のエンゲル係数(古い。出ていくお金のうち、食べ物に支払っているお金が多いかどうか)が異常に高かったらしい。

27歳になった今でも食べるときは食べるけれど、食べるスタイルを変えて、前よりも体のコンディションが良くなったよ、という話。

 

ま、要は「おなか一杯にならなきゃいけない」と思うのをやめました。

 

どういうことかというと、食べ始めたら満足するまで食べなければいけないっていう無意識の制約を外したっていうことです。おなかが一杯じゃないことは悪いことだ!と思うのをやめたってことですかね。(←これ、思い込んでいた部分)

その結果、

  1. 食べる量が(僕の体にとって)適正になり
  2. 胃や腸をはじめ内臓の負担が減り
  3. 睡眠の質が上がり
  4. 体が軽くなった

という状況です。方法はみんな知っていると思うので、いちいちここでは書きません。

ただ僕はこれがお勧めです。フルーツ好きだし。

一流の人はなぜそこまで、コンディションにこだわるのか?~仕事力を常に120%引き出すカラダ習慣~

一流の人はなぜそこまで、コンディションにこだわるのか?~仕事力を常に120%引き出すカラダ習慣~

 

これ、題名が全っ然好きじゃなくて、本屋でも完全にガン無視していたんですが、鍼灸・整体のプロ中のプロで尊敬しているトレーナーが勧めてくれて、「それなら・・・」といって読んだ本。簡潔で具体的なのがいいです。

 

 

そう。

話を戻すと、食べる量は減ったんだけれど、その分食べることは好きになったんだよね。

その理由は、「どうせ量が減るなら、食事することに対する質をあげてバランスとろう」と思ったから。いい食材を使うとか、作るのに手間をかけるんじゃなくて、(それでもいいけれど)食べる行為自体の質をあげよう、ってやったのがよかったです。(←ここも思い込んでいたとこ)

集中する、とか、五感それぞれへの反応を知覚しているのを感じるとか、今までの記憶のどこと結び付きそうだとか、何と併せたらおいしいかとか、どうやったら再現できるかとか、食事の間だけ、感覚と頭脳をフル動員しています。

 

ま、感覚的・意識的な話なのであれですが・・・

 

今日言いたかったのは、たいして深く考えずに思い込んでいるだけのことって 意外と身の回りに多いんじゃないかなあ(´・ω・`)っていうこと。

それが、環境や文化や時代に基づいているものなら、そこから自由になって考えると、いろんな組み合わせができるかもね。「あれ、これって当たり前のことだっけ?」って、ふと思う瞬間を増やしていきたいなあ、と思いました。

 

 

じゃーね★

ダイバーシティお台場、ってよく考えられた名前だなあ。全然普通に多様性の話。

自分の経験した以外の出来事って、つい、弾いてしまう。想像したことなかったりすると犬にすらムキになってしまう、という話。
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こんばんは。

ダイバーシティとは、

「少数派を受け入れましょう」ではなくて、「そもそもみんな違うんだから、そのことを受け入れましょう」、そもそもスタンダードがない。っていうふうに解釈しています。

 

みんな違っていようが何だろうがどうでもよくて、組織とかコミュニティと自分の間に、大事にされている価値観や文化の、一番大事なエッセンスがあってさえいればいいんじゃないか、って思っています。組織を作る際は、自分の一番大事なエッセンスを理解して共通文化にしたらいいんじゃないかなって。

 

 

でもなんか、ふとした瞬間に、自分が正しいって思っちゃうんだよなあ、、、、

 

 

自分が経験してきたことが、一般的な、普遍的なスタンダードな体験で、世の中はこう動いている!って断定しちゃうことが、よくある。

例えば小さいころ犬にかまれた経験があって、「犬=噛む/怖い」と思っている人がいるけれど、これって自分の経験が「正しい」と無意識に思っているからで、同じ経験をしても、そんなこと忘れて犬が好きな人もいる。僕は後者。犬っころ大好き(*´▽`*)

同じ経験をしても、「まあいろんな犬がいるよね」とか「ご飯食べてる最中だったのに手出した自分がいけなかったのかもな」と受け入れることができれば、犬っころを拒絶する必要なんてないですから。

 

これ、犬を人に置き換えるとちょっと変わります。いろんな人がいるよね、とか手出した自分がいけなかったのかな、って、途端に思い辛くなる。

 

言いたいことは、

  1. 経験したら、その事実よりもその場の自分の反応に着目したい
  2. そもそも人はみんな違う、ってもう一度腑に落としたい

 

まあわかるよ。狩猟民族時代に、一度犬にかまれたら、そこから病気になるかもしれないし、次回からあいつは危険だ!って思わなくちゃいけない。じゃないと自分の命が危ないから。

あ、少し話が逸れるけれど、男性が筋肉鍛えたり、武器(技術やスキル)を欲したり、車や時計が好きなのって、全部狩猟民族時代の特徴で説明できる、って聞いた時にはとっても納得したなあ。「だって生き残るために必要でしょ」って言われると、まあしょうがないよなあ、って納得します。

でも今は状況が違っていて、可能性を狭めていくために経験を重ねるよりも、自分の反応を理解して、驚くようなことも起きるんだ!ってことを知ればいいと思う。それによって、自分は変化していくもの。

  

それと、みんな違うってこと本当に理解できているのかな??

 

努力して成長することが正しくて、集中することが正しくて、整理整頓することが正しく、言うことを聞くのが素直でいいんだよ、といつの間にかそれが当たり前と思っていたけれど、みんな違うって、それも違うのかな?っていうことを、考えさせられた記事がありました。

 

マイクロソフトの牛尾さんの記事。

 

人間は、すべての要素が違っていて当然という前提で考える事がダイバーシティのポイントじゃないでしょうか?

 

simplearchitect.hatenablog.com

 

 自分が苦手なはずの事務処理系の仕事ですが、チームでも平均すると私の方がちゃんとできるぐらいの勢いです。みんなが得意なことも苦手なこともバラバラです。会議に真面目に出る人もいればほぼでない人もいます。それでも誰れも何もいいませんし、減点される雰囲気もありません。

 私がいろいろ忘れて何回か同じ事を上司のDamienに聞いても、彼は喜んで教えてくれます。

 ネイティブの英語スピーカーと喋るときも、私や同僚が理解できてなくても、英語勉強不足とか言い出す人はいません。言葉が通じないのが前提なので色んな手を使って「コミュニケーション」を達成しようと、こちらも、向こうも頑張るからです。

 日本では「ダメ人間」の烙印のADHDも、文化も、年齢も、国も、考え方も、得意分野もすべて違う人が集まってるのが前提なのでそれが「違う」とすら 認識しません。だから、「君はこうあるべき」「君はこうすべき」などと言われた事がありません。

 例えば、Drew に対して DevOps インタビューという記事を英語で書くのが大変な時に相談したら、彼は英語力を上げるアドバイスをするのではなく、「お金を払って誰かにやってもらえるように調整しよう」といったアドバイスをくれました。

 他の人も同じですが「自分を変える、鍛えて違うものになる」ことをアドバイスされることがありません。仕事も、ごく少ない仕事以外は、できなければやらなくてよくて、それをだれもととやかくいいません。早く帰っても誰れもなにもいいません。

 

これは、彼の姿勢に対する前提があってのことです。もちろん。 

 

ただこれって、「自分を変えることが当たり前で、変化させて成長させてどんどんできることを増やしていくことがいいことなんだ」っていう、僕が持っていたのは一つの考え方に過ぎなかったんだなー、ってことに気付きました。

 

結果として求められていることを成し遂げることが第一優先で、周りにも「できる」ことを求めないし、自分と違うことが当たり前だから、お互いに歩み寄る。受け入れる。苦手なことは、得意な人にやってもらう。だから様々な人が、様々なままでいることができる。それが、一企業の中で行われているんですね。

 

 

・・・

 

 

・・・

 

 

・・・

 

 

(*´▽`*)

 

そう。

話を元に戻すと、みんな違うのは当たり前で、っていうかしょうがないってことを、受け入れられたらいいよなあと感じます。

 

いろーんな考えの人がいるし、自分には否定留める権利もないし、そのことを忘れちゃいかんなって思うのです。自分はこう、は持っててよくて、でも人と違うのは当たり前、っていう考え方。

 

 

いやーー、もう窮屈で窮屈でしょうがなかったんだあ。。

目的に向かっているのに、やり方とか考え方までこうだ!ってされるのが窮屈でしょうがなかったんだ、ってことが分かりました。

 

自分のことを整理するメリットってここが大きくて、言語化して、理解できればそのあとはどうにでもできますから。

 

さて、そうと決まれば早速行動です★

カロリーが悪者だって思い込みがもたらしたもの

週に1回、ジムで筋トレをしているんだけれど、これがまた楽しいんだ。

15分くらいサーッとマシンで走って体を暖めたあと、ウェイトでぎりぎりのところを攻めていく。終わった後の爽快感が大好きで、ここのところコンスタントに通っています。

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それで、これもつい最近体感したのだけれど、なんかあんまり食べないほうが余計な脂肪が落ちるしなんかいいなー。なんて思っていたのだけれど、どうやらそうではないらしい…!

だってその食べなかった週、InBody(いろいろわかる体重計)で計測すると、体重が減っているのに、体脂肪率が変動していない、ということに気が付いた。

 

 

・・・

 

 

・・・

 

 

(´・ω・`)これは!

 

 

 

つまりこれ、筋肉が落ちてるってことだよね??

筋肉量も確かに落ちていた。毎回。そして僕の基礎代謝が1900kcalくらいあるんだけれど、毎日、カロリーとらなければその分どこかから奪ってくるしかなくて、脂肪がなければ筋肉燃やすしかない、、って、ちょ!!せっかく鍛えていたのに、全然意味ないじゃんかーー!!!


「カロリー関係ねえな!」って言って切り捨ててしまっていたけれど、数字から考えてinが1000kcalでoutが1900kcalだったら、減ってく一方だよね。今だから冷静になるとわかるけれど、足りない分ストックから消費されているし、「俺はなんだかだいじょうぶ!!( ´ ▽ ` )ノ」ってやってたなあ。。「自分だけ特別」論はやばい、やばいです。気をつけよう!!

さ、

じゃね★

自分で自分のこと認めてあげるよ。

昨日とっても自立している女性の方に、「君からは自分で自分を認めたがっている、っていうことだけが伝わってくるよ」と言われた。

 

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おはようございます。

やっぱりね、様々にいろんな人からいろんなことを言っていただくわけです。それはありがたくもあり、耳が痛いことでもあり、ただそれをひっくるめて自分で決めるべきだということに変わりはないですね。

 

「大きなスケールで考えよう」っていう文を書いて今思うことは、そのスケールの視野の中で、やるべきことを絞っていきたいんだよなーってことです。あれもこれもできる、っていうよりも、これだったら右に出るものはいないですぜ旦那!っていうほうが、いいでしょ?

僕はこの分野だったら絶対に俺に話振ってくれ、まじで最高の結果持ってくるから!!的なスペシャリスト的な。能力を磨く、ということにすごく価値を感じている人間なんです。

 
イカの実力

イカセンターって知ってますか?イカをメインに取り扱ってる居酒屋で、初めて聞いた時のインパクトと言ったら、もう非常に大きかった。牡蠣専門の「牡蠣小屋」ってのはあったけれど、イカ持ってくるのかー!って。

だって、イカがそこそこ好きな人だったら気になるでしょ??「今日はイカの気分かもなー」なんて言って、みんなで飲みに行くかもしれない。でもイカセンターが、「顧客のニーズを、、」って言いだして、牡蠣置き始めたら、「おいおい」ってなると思うんだ。

みんなおいしいもの食べたくて、「イカ推しでやってる店のイカが不味いわけない」って、安心と信頼を寄せていて、期待するんだよな。1つのことを愚直に突き詰める組織・人が評価され、求められるのって、理由はここにあると思います。

 

例えば、そんなイカセンターに、ワインが好きすぎるスペシャリストのソムリエさんが必ずいて、どっちも俺に任せろ!!って人たちがコラボして常駐していたら。なんか聞いているだけでワクワクしてこないかな?

 

その能力を磨いてプライド持っている者同士が、一つの目標に向かったら、何それめっちゃ面白いじゃん!ってなるよなと思っていて、それが僕は建築の照明の分野でそれをやろうとしている。

 

今から。こっからです。

 

ぼくは、「イカ」と「ソムリエ」繋ぐあいだの役まわりになればいいじゃん、って思っていたのだけれど、自分もそこにスペシャリストとしての知識と経験と情熱の姿勢を持っていかないと、やっぱり話ができないよな、って思ったんだ。

 

話が長くなったけれど、それが、「自分を認めたがっている」ってつながると指摘をされ…でも、自分のこと認めるためにそれが必要っていうなら、やるしかないよなとも思っていて。

 

だから、今回は大きなスケールで考えることにしよう、って月を見ながら思ったんだ。

 

じゃーね★

なぜ自分の子供に、知識や経験やを引き継がせて産み落とせないのか?毎回リセットしちゃうのが不思議だったので理由を考えてみる。

電車の中に、ベビーカーに乗った赤ちゃん。
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かわいいなあ、こんな子をいつか俺も育てることになるんだろうか、なーんて考えていたときに(自惚れ)ふと思ったんだけれど、生まれたばかりの子供は、記憶とか経験はリセットされた状況で生まれてくる。当たり前っちゃ当たり前だけれども、けれど生物的にもし、子孫の繁栄を考えるんだとしたならば、記憶や経験を引き継いだ状態で生まれてきたほうが圧倒的に有利だよね?

 

親の経験したことを基に、更にそっから積み上げていけるんだから、どんどん知識や経験やスキルが積み重なっていく。そしたらどんどん進化していって、すごいことになるんじゃないか・・・!!って思ったのだけれど。

どう?だって、親が世界中を旅していたとしたら、そこで感じたこととか 経験したことを、子供が思い出せるんだよ?そしたら、ここに住みたい、こんな考えもある、僕はこうしたい、ってすごく無駄がないというか、いいんじゃないかって思ったんだ。

 
それって、実際どーにかならないのか?

そもそも脳みそは、シナプス間を情報伝達物質が行き来することで、そのルートや規模や方向性などに基づいて、意識や感情が生まれる(らしい)のだけれど、ここはいまいち明らかになっていません。1個2個だとそれだけの情報だけれど、それが何千何万個のシナプスが一気に踊りだす、となると、その組み合わせは天文学的な数になるわけで、その組み合わせ、繰り返しが意識や記憶になるらしい、ってそんな理解をしております。(合っているでしょうか?)

 

つまり、そもそも生まれた瞬間の脳の中身って、脳細胞とかシナプスとか伝達の回路が大人のそれと同じように形成されてはいないんだから、記憶や経験を引き継げないのは当たり前、なんです。

 

遺伝子レベルでは、組み合わせをいろいろ試す(AとBの遺伝子の組み合わせなのか、それともAとZなのか。)ことで、より種の保存に向けた、環境適応能力の高い遺伝子が、しかも偶然生まれることを願って、新しい子供が生まれてくるわけで、言ってしまえば、博打の繰り返しをして、残ったやつが強い!って。

 

そして、切り口を変えてみると、世代を重ねることによるアドバンテージがない、生まれた瞬間同じ種族なら横並び一直線(遺伝子による多少の変動はあり)という環境が、種としては正解なのかもな。って。じゃないと、例えば第35世代と第33世代の間には、人の人生2回分の知識と経験のストックの開きがあって、人間としての自尊心なんてあったもんじゃない。

 

あとは嫌なこととかあるわけだし、それを忘れられる(次の世代に引き継がない)っていうのがいいことなのかな。って思います。

 

 

そう考えると、そもそも生命はどこに向かっているんだろう?とか、いや、そもそも目的なんて以っていないのか?その中で俺はどーする?なんて、様々に考えるわけで。

明らかに、この本の問題提起の影響受けてますね。

 

propetoplus.hatenablog.com

 

 

こういう話をすると、輪廻転生の話がついて回るんだけれど、以前読んだ本にたしかこれが。

 

生きがいの創造―“生まれ変わりの科学”が人生を変える (PHP文庫)

生きがいの創造―“生まれ変わりの科学”が人生を変える (PHP文庫)

 

 

生まれたばっかりなのに、前の人生の記憶がある、という事例を900ページくらいこれでもか!って書き連ねた一冊。

 

まあ、この場合は前の経験、記憶を残しているんだよなあ。。

 

 

 

・・・

 

 

・・・

 

 

神秘(*´▽`*)

 

 

 

 何のために人は進化して、生きているんだろう?って考えると、いろんな分野に波及していくことを感じてます。正解とか不正解はもちろんないと思っていて、自分が納得してその後過ごしていけたらなんでもいいんじゃないかなって思ってます。俺はこのために生きたし、今死んでも悔いは残りません!っていえたらそれが一番の幸せなんじゃないかなあ・・・・

 

 

大好きな椎名林檎さんの『幸福論』を聞きながら今日のスタートです

 

 

じゃーね★

今朝、歯磨きをして家を出てきたあなたに質問。

みんな、自分の歯磨き時を想像してみてほしい。

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http://free-photos-ls02.gatag.net/images/sgf01a201403150800.jpg

 

歯みがき。そう。

 

歯ブラシを手に取り、歯磨きのペーストをブラシの上にそっと乗せ、歯の表面に優しくのせる。生まれてこの方何度繰り返したかわからないこの単純作業。

1日3回を365日、歯が生え初めてだから差し引きで27年分くらいとすると、僕の場合なんとなんと29,565回。今までの人生でほぼ3万回歯を磨いているわけなんだけれど、自分の癖を、さっき唐突に発見した。

 

 

自分の舌が、歯ブラシのブラシが生えてる根元にそっと添えられているんです…!!!

 

 

・・・

 

 

(´・ω・`)

 

 

 

みんな、歯を磨いているとき自分の「舌」がどこにあるか確かめてみてほしいんだけれど、みんなも歯ブラシに沿えてるのかな?それとも全く連動せずに宙ぶらりんな舌なのか。ここで舌動かしているとちゅーもうまかったりして(*´з`)

 

 

 

何が言いたいのかというと、意識せず、自動的に行っていることってめちゃめちゃ多いんだなーっていうこと。

例えば、「歯磨き」を人に伝えようとしたときなんかは、その行動一つ一つを棚卸して、掘り下げてみるっていうこともあるのかもしれない。その時感じたこと、起こっている出来事。相手の人との経験の共通点を見つけながら、その認識がかぶっている部分に対して、「あーわかるわかる!」っていうところからお互いをすり合わせていく作業、そんな経験。

 

そこで初めて、じゃあ歯磨きってとっても大切で、こんな点に特に注目したらこんな風に効果が上がって、歯もずっとイキイキですよ。なんて提案ができて、それこそ80歳になっても美味しいもの自分の歯で食べられたり。そしたら素敵な人生じゃん。

 

 

話が大幅に脱線したけれど、要はオートで生きている時間が長すぎるよな!って思う。

考えなくてもいいように動かないでもいいように、どんどん世界は発達して進歩していって、考えること、意識すること、認識すること、そして自分としっかり向き合うことをしないでも生きていける。前の記事にも書いたけれど、どんどん「完璧な世界」へ向かっている、という今日の人工知能論。

 

propetoplus.hatenablog.com

 
閑話休題。(これ、一度つかってみたかったんだ)

それで、自動的にやっていることを意識下に引き戻す作業、って、やってみると意外に面白いんだよー。この歯磨きのときの舌の動きとか、驚いた時の自分のリアクションとか、笑い方とか、考えの癖、都合が悪くなった時にしてしまう対応。こういったことを、自分はこうしているけれど、他の人は違うかもしれない、って可能性を認識すること。

 

自分が自動的にやっていること ≠ みんな共通のあたりまえのこと

 

ってことを知ったら、想像することができたら、いろんなこと受け入れられるんじゃないかな、と思う。人も、自分と違うものも。

 

オートでやっていることの、理由を探ってみる。

宇多田さんが「君といるとオートマティック」って言っていたけれど、それはめっちゃよくて、じゃあそれが何で?っていうこと。感動したなら、なんで感動したの?さみしかったなら、それはなんで?なぜ僕はこの人のことを可愛いと思わざるを得なくて、なぜこの行動をとるのか?

なんかみていると、そこに共通点が見えてきて、まあ面白いんです。

 

 

そして、これは意識する必要ないなって思ったら、またオートに戻せばいいだけの話だし(*´▽`*)かんたーん♪

 

 

 

最近面白かったのは、「呼吸」ですね。ヨガやってる方や、管楽器やってる方はなじみがあると思いますが、とっても奥深い。この話はいずれ・・・

 

歯磨きの話から、自動的な行いを意識下においてみよう、という話でした!

 

 

じゃーね★