ダイバーシティお台場、ってよく考えられた名前だなあ。全然普通に多様性の話。
自分の経験した以外の出来事って、つい、弾いてしまう。想像したことなかったりすると犬にすらムキになってしまう、という話。
こんばんは。
ダイバーシティとは、
「少数派を受け入れましょう」ではなくて、「そもそもみんな違うんだから、そのことを受け入れましょう」、そもそもスタンダードがない。っていうふうに解釈しています。
みんな違っていようが何だろうがどうでもよくて、組織とかコミュニティと自分の間に、大事にされている価値観や文化の、一番大事なエッセンスがあってさえいればいいんじゃないか、って思っています。組織を作る際は、自分の一番大事なエッセンスを理解して共通文化にしたらいいんじゃないかなって。
でもなんか、ふとした瞬間に、自分が正しいって思っちゃうんだよなあ、、、、
自分が経験してきたことが、一般的な、普遍的なスタンダードな体験で、世の中はこう動いている!って断定しちゃうことが、よくある。
例えば小さいころ犬にかまれた経験があって、「犬=噛む/怖い」と思っている人がいるけれど、これって自分の経験が「正しい」と無意識に思っているからで、同じ経験をしても、そんなこと忘れて犬が好きな人もいる。僕は後者。犬っころ大好き(*´▽`*)
同じ経験をしても、「まあいろんな犬がいるよね」とか「ご飯食べてる最中だったのに手出した自分がいけなかったのかもな」と受け入れることができれば、犬っころを拒絶する必要なんてないですから。
これ、犬を人に置き換えるとちょっと変わります。いろんな人がいるよね、とか手出した自分がいけなかったのかな、って、途端に思い辛くなる。
言いたいことは、
- 経験したら、その事実よりもその場の自分の反応に着目したい
- そもそも人はみんな違う、ってもう一度腑に落としたい
まあわかるよ。狩猟民族時代に、一度犬にかまれたら、そこから病気になるかもしれないし、次回からあいつは危険だ!って思わなくちゃいけない。じゃないと自分の命が危ないから。
あ、少し話が逸れるけれど、男性が筋肉鍛えたり、武器(技術やスキル)を欲したり、車や時計が好きなのって、全部狩猟民族時代の特徴で説明できる、って聞いた時にはとっても納得したなあ。「だって生き残るために必要でしょ」って言われると、まあしょうがないよなあ、って納得します。
でも今は状況が違っていて、可能性を狭めていくために経験を重ねるよりも、自分の反応を理解して、驚くようなことも起きるんだ!ってことを知ればいいと思う。それによって、自分は変化していくもの。
それと、みんな違うってこと本当に理解できているのかな??
努力して成長することが正しくて、集中することが正しくて、整理整頓することが正しく、言うことを聞くのが素直でいいんだよ、といつの間にかそれが当たり前と思っていたけれど、みんな違うって、それも違うのかな?っていうことを、考えさせられた記事がありました。
米マイクロソフトの牛尾さんの記事。
人間は、すべての要素が違っていて当然という前提で考える事がダイバーシティのポイントじゃないでしょうか?
simplearchitect.hatenablog.com
自分が苦手なはずの事務処理系の仕事ですが、チームでも平均すると私の方がちゃんとできるぐらいの勢いです。みんなが得意なことも苦手なこともバラバラです。会議に真面目に出る人もいればほぼでない人もいます。それでも誰れも何もいいませんし、減点される雰囲気もありません。
私がいろいろ忘れて何回か同じ事を上司のDamienに聞いても、彼は喜んで教えてくれます。
ネイティブの英語スピーカーと喋るときも、私や同僚が理解できてなくても、英語勉強不足とか言い出す人はいません。言葉が通じないのが前提なので色んな手を使って「コミュニケーション」を達成しようと、こちらも、向こうも頑張るからです。
日本では「ダメ人間」の烙印のADHDも、文化も、年齢も、国も、考え方も、得意分野もすべて違う人が集まってるのが前提なのでそれが「違う」とすら 認識しません。だから、「君はこうあるべき」「君はこうすべき」などと言われた事がありません。
例えば、Drew に対して DevOps インタビューという記事を英語で書くのが大変な時に相談したら、彼は英語力を上げるアドバイスをするのではなく、「お金を払って誰かにやってもらえるように調整しよう」といったアドバイスをくれました。
他の人も同じですが「自分を変える、鍛えて違うものになる」ことをアドバイスされることがありません。仕事も、ごく少ない仕事以外は、できなければやらなくてよくて、それをだれもととやかくいいません。早く帰っても誰れもなにもいいません。
これは、彼の姿勢に対する前提があってのことです。もちろん。
ただこれって、「自分を変えることが当たり前で、変化させて成長させてどんどんできることを増やしていくことがいいことなんだ」っていう、僕が持っていたのは一つの考え方に過ぎなかったんだなー、ってことに気付きました。
結果として求められていることを成し遂げることが第一優先で、周りにも「できる」ことを求めないし、自分と違うことが当たり前だから、お互いに歩み寄る。受け入れる。苦手なことは、得意な人にやってもらう。だから様々な人が、様々なままでいることができる。それが、一企業の中で行われているんですね。
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そう。
話を元に戻すと、みんな違うのは当たり前で、っていうかしょうがないってことを、受け入れられたらいいよなあと感じます。
いろーんな考えの人がいるし、自分には否定留める権利もないし、そのことを忘れちゃいかんなって思うのです。自分はこう、は持っててよくて、でも人と違うのは当たり前、っていう考え方。
いやーー、もう窮屈で窮屈でしょうがなかったんだあ。。
目的に向かっているのに、やり方とか考え方までこうだ!ってされるのが窮屈でしょうがなかったんだ、ってことが分かりました。
自分のことを整理するメリットってここが大きくて、言語化して、理解できればそのあとはどうにでもできますから。
さて、そうと決まれば早速行動です★