お金を払うことと自分ルールに従う話
本を買うっていう話から、"お金を払うこと、そのものに価値があって、お金で「吸収力」を買っていると思っているよ”ということを言っている人がいた、キンコン西野さん。
お金を使うメリットは、読み進めていて「この本、面白くねーな」と思った時に、「でも買っちゃったし、もう少しだけ読まないと、もったいないな…」という、“ほんの少しの粘り”が生まれることだと思います。
「キンコン西野さんのFacebookより https://www.facebook.com/akihiro.nishino.16?fref=nf」
そして彼は食にはお金使わないけれど、会食では全額払うようにしているんだと。
それも、まず本を買うのと一緒で、会食での会話の内容を血や骨にすることが目的。
話の内容は、その場にいた誰よりも持ち帰りたい。
そうそう。
普段から何気なくやること決めてるかもしれないけれど、(行動の自動化って呼んでる)例えば、いろーんなやりたいことがあるなかで、本を読むのに時間使ったり、人と飯行って酒を飲んでるってことじゃんか。
その何か別に吸収できたかもしれない自分の時間と、僕の責任ではどうすることもできない相手の大切な時間を使っているってことなんだ。
そう思うだけでも背筋が伸びる気がするけれど、更に会食の費用全額払うんだとなると、「うっ!」ってなる。なるんだけど、でもじゃあその分最強にいい時間にして、話の内容ぜーんぶ己の血肉にしてやるわ!って思ったら、その時間に対する前のめり感がまったく違うじゃんか!って思ったんだ。
なんとなーーーーく時間を送るのはいや。ほんとうにイヤ。
だから「そうそう!」って思ったんだけれど。
ただね、自分の考えでやっていることを相手に押し付けちゃいけない。そんな窮屈な奴と飯に行きたいなんて思わないし、そんなの見せつけるものでもないもんね。
だからこういう自分ルールで生きていて、人に理解されなくたって「別に気にせんわ!」って言える様な人は、かっこいいなって思っている。
今晩、こんなイベントやったらしいよ。
『WANTED〜キンコン西野逃走中!〜』