まずは今の自分自身と向き合う。
追い込まれたときに人の本性って出るから、そこでこそ踏ん張って潜り抜けられる人間になりたいよな。という自戒も込めて。
この人のこと信頼できるかどうかって、一緒に困難を潜り抜ける経験をした時にわかるんじゃないかと思っている。
高校時代のバスケ部で、吐きそうな練習を一緒に乗り越えたメンバーって、今でもそんなに顔を合わせなくても信頼置けるし、同じプロジェクトに携わって同じ本気度で時間を共有してきた人には、その人となりがわかるからまた任せられる。
僕の好きな小説に、真山仁さんの「ハゲタカ」シリーズがあるのだけれど、その中の一節に、
「一緒にバカ騒ぎする連れなら(います)。でも、運命共同体みたいな強い絆を感じるような仲間じゃない。ただ楽しさを共有するだけの関係です。お二人って会話しなくても、意思の疎通があるじゃないですか。(主人公の仕事のパートナーに対して)そういう同士が欲しいんです。」
という若者に対して、
"そのためには、たくさん修羅場をくぐることだ。命を預けられる相手は自ずと見つかる。"「グリード・上(講談社)真山仁 P462より」
と心の中で主人公が応えるシーンがある。
こんなに的確に言語化してもらって本当に気持ちがいいなー!真山さんすごいな。
ギリギリの状況になったり自分の状況が悪くなると、途端に責任逃れをはじめる人、乱暴になる人、諦めてしまう人、じっと耐える人、そこでこそ力を発揮する人、ワクワクして立ち向かう人、いろんな人間性が出てきて、それこそいろんな人がいると思うんだけれど、俺はそこでこそ踏ん張って立ち向かえる人でありたい。
自分が追い込まれる状況を経験する
自らの本性が出ているときにこそ、自分のことがよくわかるよなあって感じていて、
感情が動かされる経験、そんな自分をコントロールしようとする経験、そこで試行錯誤する経験、それらを経験するチャンスを自分から作っていこうと考えている。
だって余裕があるときって、自分が無意識に自分を騙している可能性があるんだもの。
例えば、草野球の試合前の練習にヘラヘラしている奴がいても穏便に済ませられるかもしれないけれど、大切なものを賭けてたたかっていたとしたら、いろんな感情や想いが生まれくるわけじゃない?本気の時って自分を騙すことよりも、自分が人にどう見られるかよりも、もっと大切なことのために行動をしているはず。
そんな経験ができるのなら、迷いつつも飛び込もうって思うし、言い訳できない、防御できないオープンな状態に自分を置こうって思う。
意外とあるよ。やるかやらないか。こういう場面。
まずは自分のクセを知って、そこから変えていこう。そしてこいつになら任せられる、っていうパートナーに、なれる生き方をしたいなあ。