朝の30分

整理するだけじゃなくて、ちゃんと書く。

いのち短し

「あした、死ぬかもしれない」

と思ったら、ガマンするのがバカらしくなってきた(*´▽`*)

 

久々に書きます。


2年ほど取り組んできたプロジェクトから、撤退することを決めた。このままだらだらと続けることもできたけれど、決めなくちゃ。ってずーっと心にホネを引っかけて早2か月。スッと決めた原因はいまならわかる。

自分と自分の情熱を信じることにしました。

 

サッカー欧州のビッグクラブ、ACミランで10番(キャプテン翼の翼君も、長い道のりの後に行きつくのは背番号10。)を背負っている、日本代表でもある本田圭佑選手には、多くの「意見・感想」が寄せられる。彼の功績と実績への称賛が6、彼の強い意志を容赦なく伝えることへの拒絶反応が4、くらいで彼を取り巻いている心証がある。

批判が多い。でも彼をそれをバネに変えている。それって、ずいぶんとすごいことじゃないか。

僕は“凡人”だし、それを僕自身が自覚している。

 

 何が人より優っているのかというと、“決断力”と“行動力”なんです。僕が考えているよりも凄いプランや天才的なアイディアを持っている人はたくさんいると思う。でも、それを実行に移せないまま終わってしまうケースが圧倒的に多い。

 

 僕は自分が信じた道は、リスクを恐れることなく突き進むことができる。それは自分が誇れる本当の武器だと思っています。

 

number.bunshun.jp

(あまり記事の一部分だけを切り取るのは好きではないけれど、長くなるので一部抜粋。)

 

自分が信じた道を進むということは、想いを違える人と、どれだけの摩擦を生むことか。ぬくぬくと、人とぶつかることを避けて生きてきた僕にとって、それは想像に難い。けれども決して目を背け続けることは叶わない、いわば生物がいつか死に至るような、逃れられないものと思っている。

 

僕は元来、決断をするのがあまり得手ではない。行く先を決めずに出発した九州一人旅でも、翌日どうするか決めるのに一番苦労した。自分の決断によって望まない結果を引き寄せたとしたら、きっとその決断を後悔する。それは、都合の悪い状況になったときに「自分なら覆せる」と前向きに捉えられるかどうかだし、そもそもその時判断した自分を受け入れらるか。もしくは、その引き寄せた結果は実はいい結果だったかも、と捉えられるか、だ。

結局は、自分次第ってことか。

 

でもここでやめずに視点をぐっと引き上げてみると、考えはまた違った意味を含んでいることに気付く。

「明日、死ぬかもしれない」という考えがあったら、今リスクを取ろうが後で取ろうが、状況が悪くなろうが変わろうが、自分が選択した「こうだ!」に対して、その全くもって不確かでしかない行く先であったり、20年後のことや1週間後の後始末のことを憂いている、そのこと自体がバカらしくなってくる。いつか言われた言葉がよみがえる。「死ぬ気でやれよ、死なないから。」

 

外ではすっかり桜が開き、期待と不安の入り混じった春独特の空気の匂いに、自然と足が軽くなる。「桜は1週間しか咲かないから美しい」という先人の言葉を思い出し、またさらに、足が軽くなる。